仏教の開祖であるお釈迦様(ブッダ)が生きていた古代インドでは、「丸坊主」は最大の屈辱。
罪を犯した者に対する罰の一種だったといいます。
そんな中で、お釈迦様は自ら頭を丸めて修行に入りました。
あえて屈辱に耐えることで、自らを律し、「苦しみからの解放」を目指したのです。
つまり、頭を丸めるという行為は「苦行」そのものであり、
「髪型」や「見た目」などへのこだわり、つまり煩悩からの解放でもあったのです。
浄土真宗では、坊主頭にしないお坊さんも多いですが、これは「自分は僧でも俗人でもない、“人間のあるがまま”である」と宣言するためなのだとか。
このお話を仕事に置き換えると、「見た目」や「体裁」にとらわれすぎないことの大切さを感じます。
職場でも「肩書き」や「外見」、あるいは「うわべの評価」に縛られてしまうことがありますよね。
でも本当に大切なのは、内面からどう在ろうとするか、何を手放せるかという姿勢ではないでしょうか。
お坊さんが頭を剃るのは、「煩悩を断ち、欲を手放し、心を整える」という決意の表れ。
私たちも、目に見える成果や周囲の視線ばかりにとらわれず、自分の本質に立ち返る瞬間を持ちたいものです。
・本当に必要なのは、髪型より中身
・苦しいからこそ、手放して見えるものがある
・恥ずかしいことを選ぶことで、自分が磨かれることもある
「自分がどう見えるか」ではなく、
「自分がどう在りたいか」を大切にしたいですね。
※しめくくりのひとこと
頭を剃ることは、捨てること。
何かを手放すことで、初めて見えてくる“本当の自分”がある。