
男子求人担当の鹿です。
宝くじは何処で買っても確率は同じと言っても、当たりの出る売り場で買いたいのが人情、
多くの人は理屈は信じない、事実なら信用できるようになっている、
話は変わりますが、
わたしはもうすでに40歳を迎えるちょいジイですが、
近頃はスタッフとしては自分が若くないことをある部分で喜ばしく感じていて
その理由のひとつは、しばしば若い人に、
「店はどうすれば売れるか」「給料は上がるのか」「自分も店長になれるのか」と問われたときに、
「君と同じ新入社員から そうなった人のそばで見てきたよ」と、堂々と答えられるようになったから
因果関係がどうしただの、誰それのおかげだ、誰のせいだと理屈捜しをしても、
多くの場合、あまり実りはない、まして能書きが聞きたいわけじゃなかろうに
私が何もないただの勘違い責任者だった頃に
「可能だよ、努力すれば誰でも」なんて軽々しく口にすると
「でもあなたの部下でそうなった人は何人いますか」と聞かれると「・・・いません」と答えるしかなく
「あなたが推薦した人で、活躍してる責任者いないですね」と聞かれると「・・・そうですね」と答えるしかなく
ならば「まずはあんたが「あんたの理屈」は結果が出る証明してくれ」となるのは森羅万象の法則で
どうして不真面目に思われる傾向があって
理屈もい理想もどこか口だけの無責任感が漂っているように映るらしい
励ましてるのに、煽っているのか、罵っているのかのように聞こえるらしい、
それが年をとって経験が増えると「可能だよ、努力すれば誰でも」とは絶対に言わなくなって
「苦労と成長を見てきたよ、あいつ見てみろ、あいつもあいつもそいつも新入社員だった、
あいつもその店で泣き事言って退店意思だったが、今では乗り越えてこうだぞ」という発言が、
経験の積み重ねから導き出されたほろ苦い言葉であると相手に感じられがちで
ああ、やはりそんなものなんだなと、
溜め息混じりの共感につながる場合が大部分となる、事実は理屈よりも はるかにあれで、
多くの人は理屈は信じない、事実なら信用できるようになっている
店長を作ることが私のメインの仕事ではありませんが、いつか昇格したいと思えるスタッフが入社してくれた時にかける言葉はそんな言葉だと思うんです。